「心」について本気出して考えてみた。
"どこにあるか みんなしってる
どこにあるか みんなしらない"
(『まっくら森の歌』より引用)
みなさんは「心」に興味はありますか。 「心」とは何でしょう。 「心」そのものについて、多くの人に納得させる定義できた人は今までだれもいません。 そういうわけで、先日、Twitterスペースで「心」について、認知科学を専門とする先生方と公開討論したんです。 その討論内容を部分的に残っていたので、復元した様子をTogetterにまとめたら、意外と反響があったので、ブログにまとめておこうかなと思いました。 討論の結論だけ見たい人は見なくとも大丈夫です。
それで討論した結論として、澤先生から、以下の通りの結論をいただきました。
昨日の一応の結論は「機械には機械の心がありうるし、人間だって人それぞれなんだから機械が一様なわけでもない」ってことだと思う。技術的な問題や言語体系をめぐって変奏されたけど。
— Kosuke Sawa (@kosukesa) 2021年7月1日
澤先生のおっしゃるとおりで、機械が心を宿すならば、機械なりの心になるという可能性のほうが高いんですよね。 例えば、PFNの丸山先生は『人の心に似た機械を設計できるか』[1]で人と機械とで知能の偏りが発生していることを示しています。
したがって、最初に心を宿すならば、人間とおそらく違う形になると思われるのです。 そこで、まず必要だと考えられるのは、澤先生の言う通りになります。
この結論自体はまあいいんだけど、いろいろな話題が出たのは面白かったものの、人それぞれの部分とか機械の「こころ」との類似・相違をどうすれば科学的議論に着地するかとかの話は進まなかった印象。たにちゅー先生が方向づけしようと試みてはいた気がする https://t.co/biBvI4EuTQ
— Kosuke Sawa (@kosukesa) 2021年7月2日
つまり、どれぐらい心が似ているのか似てないのかを定義できないと、人の心に似ているともなんともいいようがないのです。 という話を父親に電話で雑談したところ、以下の通りの会話となりました。
ロボットは人間の心を手に入れられるかというのをTwitterスペースでやったという話を父親に話したところ、「まるでSFのような話だな」と言われたので、「それを(ファンタジーではなく)科学にするのが俺らの仕事なんだ」と答えた
— あるふ (@alfredplpl) 2021年7月3日
そうなんです。「心」を科学の領域に持ってくることをしない限り、ファンタジーのままで終わってしまうのです。
そういう意味では「心」を科学の領域に科学的に分析する学問として心理学があります。
ただ、心理学は主観的なものが多分に含まれているため、個人的に首肯しかねるところが多いです。
(特にアドラー心理学はまじで根拠がないなと思っています。)
例えば、自分の仮説を正当化する時に、心理学は統計学に依存しているところがあります。
その使い方が間違えているのではないかという批判も出ています[2]。
もちろん、心理学のすべてを否定するわけではありません。
私は自然科学の観点から説明したいため、神経科学や計算機科学のアプローチで「心」を科学的に説明したいと考えています。 なので、認知科学を勉強したり、研究したりしています。 その上で、先程の問である「心を比較するとはどういうことか」ということを真面目に考えた結果、以下のツイートのようになりました。
心Aと心Bが似ているかを比較するためには何が必要なのだろうか?
— あるふ (@alfredplpl) 2021年7月3日
操作主義的に考えれば、心の多様体なるものが有限次元のユークリッド空間に埋め込める気がするが、その測地線は定義可能なのだろうか?あるいは内積しか定義できないヒルベルト空間になってしまうのか?
昨日は心を多様体として考えていたが、そうではなく、おそらく人間の心とはなんらかの空間にある確率分布のようなものだと思うんだよね。ロボットの心も確率分布で表現されうると思われる。そうすると人間の心とロボットの心の違いはKLダイバージェンスで比較することができるような気がするんだ。
— あるふ (@alfredplpl) 2021年7月4日
簡単に言うと、「心」という質的情報を取り扱うために、まず無理やり量に落とし込んでみるという発想になりました。 でも、それって抽象的な情報を色々と切り捨てているような気がするんですよね。 なので、質的情報を取り扱うならば、質的情報のまま取り扱いたいということで、以下のようなツイートをしました。
もし、質の科学が構築されうるとしたら、それは質と質がどのようになっているかを説明するものであり、なぜ質と質がそのように説明できるのか解釈をするのかについては人間の認識に依存するような気がする。
— あるふ (@alfredplpl) 2021年7月3日
質の科学、もっと高次なことを言いたいのだが、例えば、色だとすると、赤と青を混ぜると紫になる。というのが科学であり、紫は気品があるというのは解釈であり、科学ではないのかなという気持ちにはなる。もちろん10人中9人は紫には気品があるという事実があるとしたら、その事実自体は科学ではあるが
— あるふ (@alfredplpl) 2021年7月3日
ここらへんのあたりを攻めていくと、新しい科学が構築できるのではないかとは感じています。 ただ、まったくわからないため、やはり量に落としてから議論したほうが良いような感じがします。
まぁ、そんな感じのことをうだうだ考えつつも、認知科学を勉強したり、研究したりして、 「心」を解き明かしていければなと思います。
また、こういう議論をTwitterスペースなどでできればおもしろいなと思います。
以上です。
参考文献
[1] 丸山 宏, "人の心に似た機械を設計できるか", 認知科学, 2021, 28 巻, 2 号, p. 292-298, https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcss/28/2/28_2021.011/_article/-char/ja [2] 吉田 寿夫, 村井 潤一郎, "心理学的研究における重回帰分析の適用に関わる諸問題", 心理学研究, https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjpsy/advpub/0/advpub_92.19226/_article/-char/ja/