なにメモ

コンピュータビジョンや機械学習関係の話題を書き綴ると思うブログです。

「心」について本気出して考えてみた。

"どこにあるか みんなしってる

どこにあるか みんなしらない"

(『まっくら森の歌』より引用)

みなさんは「心」に興味はありますか。 「心」とは何でしょう。 「心」そのものについて、多くの人に納得させる定義できた人は今までだれもいません。 そういうわけで、先日、Twitterスペースで「心」について、認知科学を専門とする先生方と公開討論したんです。 その討論内容を部分的に残っていたので、復元した様子をTogetterにまとめたら、意外と反響があったので、ブログにまとめておこうかなと思いました。 討論の結論だけ見たい人は見なくとも大丈夫です。

togetter.com

それで討論した結論として、澤先生から、以下の通りの結論をいただきました。

澤先生のおっしゃるとおりで、機械が心を宿すならば、機械なりの心になるという可能性のほうが高いんですよね。 例えば、PFNの丸山先生は『人の心に似た機械を設計できるか』[1]で人と機械とで知能の偏りが発生していることを示しています。

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図1 知能のアスペクト([1]より引用)

したがって、最初に心を宿すならば、人間とおそらく違う形になると思われるのです。 そこで、まず必要だと考えられるのは、澤先生の言う通りになります。

つまり、どれぐらい心が似ているのか似てないのかを定義できないと、人の心に似ているともなんともいいようがないのです。 という話を父親に電話で雑談したところ、以下の通りの会話となりました。

そうなんです。「心」を科学の領域に持ってくることをしない限り、ファンタジーのままで終わってしまうのです。

そういう意味では「心」を科学の領域に科学的に分析する学問として心理学があります。 ただ、心理学は主観的なものが多分に含まれているため、個人的に首肯しかねるところが多いです。 (特にアドラー心理学はまじで根拠がないなと思っています。) 例えば、自分の仮説を正当化する時に、心理学は統計学に依存しているところがあります。 その使い方が間違えているのではないかという批判も出ています[2]。 もちろん、心理学のすべてを否定するわけではありません。

私は自然科学の観点から説明したいため、神経科学や計算機科学のアプローチで「心」を科学的に説明したいと考えています。 なので、認知科学を勉強したり、研究したりしています。 その上で、先程の問である「心を比較するとはどういうことか」ということを真面目に考えた結果、以下のツイートのようになりました。

簡単に言うと、「心」という質的情報を取り扱うために、まず無理やり量に落とし込んでみるという発想になりました。 でも、それって抽象的な情報を色々と切り捨てているような気がするんですよね。 なので、質的情報を取り扱うならば、質的情報のまま取り扱いたいということで、以下のようなツイートをしました。

ここらへんのあたりを攻めていくと、新しい科学が構築できるのではないかとは感じています。 ただ、まったくわからないため、やはり量に落としてから議論したほうが良いような感じがします。

まぁ、そんな感じのことをうだうだ考えつつも、認知科学を勉強したり、研究したりして、 「心」を解き明かしていければなと思います。

また、こういう議論をTwitterスペースなどでできればおもしろいなと思います。

以上です。

参考文献

[1] 丸山 宏, "人の心に似た機械を設計できるか", 認知科学, 2021, 28 巻, 2 号, p. 292-298, https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcss/28/2/28_2021.011/_article/-char/ja [2] 吉田 寿夫, 村井 潤一郎, "心理学的研究における重回帰分析の適用に関わる諸問題", 心理学研究, https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjpsy/advpub/0/advpub_92.19226/_article/-char/ja/