なにメモ

コンピュータビジョンや機械学習関係の話題を書き綴ると思うブログです。

NTT研を辞めて転職D進した話

D進するために5年間勤めたNTT研を辞めて転職した。なんでNTT研を辞めてまでD進(博士課程後期進学の略)するというクレイジーなことをしたのか、今もわからないところがあるが、わからないところが多いので、忘備録ついでに書いていこうと思う。

なお、本エントリは「社会人学生 Advent Calendar 2020」3日目の記事である。

 

 

純粋なD進を諦めるまでの経緯

遡ること中学3年生。わいは自分を知るために人工知能が専門の研究者になるんや!ついでに教員にもなるんや!と意気込んで高専に入学。以後、画像認識の研究を卒論としてやり、大学に編入。画像認識の研究室に入ったあと、大学教員の免許みたいなものである博士号を取るために、わいはD進するんやと博士課程の人たちに相談した。相談したところ、D3の人たちからやめた方がいいって、やめた方がいいってという言葉が絶えない。話を聞くと、大学への就職先が少なく、たとえ雇われても任期付き雇用、民間への就職が難しく、修士で就職した方がいいということだった。そうしてあっさり普通にD進するのを諦めてしまった。

 

社会人博士に切り替えるまでの話

実はあっさり諦めたのは他にも理由があった。それは社会人博士を高専の先生から勧められていたからであり、社会人が大学教員として戻ってきた実例をいくつか見てきたからである。たしかに博士から大学へ安定したポジションに就職するのは茨の道である。しかし、そもそも正社員として働きながら社会人博士として研究すれば安定性を保証されているし、ワンチャン大学へ転職することもできる。(ただ、さらなる茨の道であることは確かだが。) 大学教員の道が叶わなくとも普通の会社員として働くこともできる。私は開発スキルは人よりある方だと思っているので、研究ではなく開発にスタンスを移せば食いっぱぐれることは無くなるだろうとたかを括っていた。そういうわけで社会人博士を選んだわけである。

 

社会人博士しやすい会社探しの話

社会人博士にすると決まれば、社会人博士になりやすそうな会社探しを始めるべきだろうと考えた。当時は視野が狭かったので、とにかく周りを見渡して元社会人の大学教員を探したのである。そこで見つけたのが、我が恩師である大学の指導教員である。恩師がかつて務めていた会社はNTT研であり、NTT研ならば社会人博士どころか大学教員としてワンチャン戻れるということもわかってきた。こうしてNTT研にいくことに決めたのである。

 

NTT研に入るためにしたこと

NTT研に入るには相当厳しいそうであることはインターネッツの情報をかき集めるとわかってきた。調べた限り、まずは今の学歴が足りなさそうであることがわかってくる。とりあえず、東大院卒であれば学歴にこまらなさそうなのでそこは欲しいとなる。自分の興味のある分野の研究室を東大の中から探し出し、アポを取ったり、院試を受けたりして、東大の情報理工へ入学することはできた。次に(NTT研は知らないけど)インターンシップは青田買いの一種であることは高専時代のインターンシップで別の会社から教えられていたため、インターンシップの窓口を探した。探した結果として、先生と研究室OB経由でインターンシップを紹介してもらえた。こうしてインターンシップなどのいろいろイベントに出ていたら、NTT研から内定が出た。

 

D進におけるNTT研での戦い

さて、ここからが本題となる。そもそも働きながら研究するということがどれだけ辛いことなのかを理解していなかったことに気づいた。なぜならば、仕事というものは「他人がやって欲しいことを他人の代わりにやることで賃金を得ること」であり、研究とは「自分の興味のあることを研き究めること」である。ぶっちゃけていえば、この2つは特に関係がない。このため、仕事と研究を両立させてタイムマネジメントや心身のマネジメントをする必要がある。この点に注意しながら、5年間にわたるNTT研における私のD進チャレンジについて語ろう。

 

まず、1年目のD進チャレンジである。手元には主著のジャーナルは一本もない。またその元となる国際会議の予稿集すらなかった。仕事内容はスポーツを教えるロボットという画像認識とは全く関係のない内容である。また、偉いさんの案件ということもあり、なるべく成功させないといけない。仕事も慣れていない。当然D進する余裕は心身時間ともになかった。それでも院試説明会ぐらいはいった気がする。

2年目のD進チャレンジである。今度の仕事はスポーツを教えるロボットからスポーツの研究にソフトランディングさせる大人な仕事をやることにした。どんどん忙しくなるため、やはり余裕はなかった。特に興味のないスポーツの研究をさせられて、有名な国際会議に自部署で唯一通した割に評価も理不尽に低かったため心はすり減ってしまった。そんなときにD進する気力もなかった。

3年目のD進チャレンジである。課長が俺を見ていてあまりに不憫に思ったのか、また新しい上司が偉いさんに取り計らってくれたのか、研究テーマをスポーツからインタラクティブデジタルサイネージの開発に切り替えてもらえた。やっと興味のある仕事ができると意気揚々としていて、この研究テーマならばD進できなくはないと大学院の指導教官に直接会いに行って調整を始めた。しかし、問題は質ではなかった。量が問題だった。はっきり言おう、この開発はデスマーチだった。ろくな研究などできなかった。

4年目のD進チャレンジである。これまでの仕事により心身がボロボロになったため、もはや仕事しながら研究することは難しい状態となった。しかし、なんだかんだで世の中裏技はあるものである。共同研究という枠組みで仕事=大学の研究にしてしまえば、仕事と研究を両立することが可能なのである。そこで、共同研究を企画して上司に持ち込んだ。だが、心身がボロボロなので途中で倒れた場合、責任が取りきれないだろうという理由で却下された。ただ、ボロボロな心身を癒すという理由で会社内であれば自由に研究しても良いとなった。そこで部署のミッションに従い、研究テーマを自分で立ててやらせてもらっていた。研究テーマは空気を読むロボットである。ていうか、本来これ1年目にやらせてもらえるはずの話なのにな(怒)

5年目のD進チャレンジである。この時は研究に忙しく、D進する前にまず論文を出しておこうかというところで様子見していたところがある。ところでNTT研では3年目から徐々に昇進のための出向話が出てくる。3年目までは研究させてあげるけど、この期間で研究に向いてなさそうと周りが判断するのならマネージャーをやってくれ、という研究者としての半ば戦力外通告である。とはいえ、エリートコースであることには違いない。出向して昇進してしまうとマネジメントで忙しくなり、D進をする余裕などなくなる。マネージャーとして昇進するか、D進を含めた研究を続けるかそういう分岐点となってきていた。そんなことを頭によぎらせていると、いろんな噂が飛び込んできた。NTTのことなので、そういう噂を耳に挟みながら身を処していけなければ生きていけない。ただ、耳を疑う噂が断片的に入ってきた。情報を総合すると自部署が解体されるということである。このままではD進も研究も危ぶまれる。そんな矢先、部長から突然飲み会に誘われた。NTTにいればわかるが、こういう飲み会は今後の人生を大きく左右するタイプのものなので「必ず」出ないといけない。そして、案の定今後の仕事に関するオフレコの決断を強いられる感じの飲み会だった。そこで、研究を続けるのならD進しないともういけないし、そうでないのならば諦めるべきだとのアドバイスを軽くもらった。もちろんそれは部長自身の人生を振り返っての言葉だと思われる。これが私の中でD進のために、研究を続けるために転職を覚悟し始めたきっかけのように思えた。

 

サイバーエージェントに転職する話

そんな中で舞い込んできたのがサイバーエージェントへの転職話であった。お誘いがあったサイバーエージェントのチームでは石黒先生の研究室を間借りして共同研究するという異質なスタイルをとっていた。石黒先生とは「人間とは何か」を研究テーマとしている人間型ロボットの世界的権威である先生である。共同研究はすでに立ち上げてから2年程度経っていたが、また4年間研究契約を追加延長すると聞いた。この期間があればD進しても十分な期間が確保できると判断できた。仕事をしながらD進しても良いか採用責任者に尋ねたところ、OKがもらえた。D進するならばこれが最後のチャンスであるということを確信した。

私は採用試験を受け、内定をもらい、半年ほど転職する際のリスクを収入面や心身面などを整理してリスクマネジメントの観点からじっくり考えたり相談させてもらった。(余談だが、この間、GAFAのうち2社から誘われていた。)

その間にもNTT研からカウンターオファーが提示されるかと思ったが、無理っぽそうだった。(一応、特別研究員の話もでたがたぶん業績的に当時は無理だと思われる。)

退職する最後まで転職するか否か半ば錯乱しつつあったが、リスクマネジメントできるという結論から転職することとなった。

 

サイバーエージェントに入ってからD進するまでの話

そういうわけでサイバーエージェントにはD進という面「も」期待して入社することになったのである。(もちろんそれだけではない。) 最初の夏は仕事でバタバタしていたため、流石に夏入試を受けることはできなかった。ただ、無事冬入試を受けることができて、この春社会人博士課程として入学することができた。かれこれ6年越しの入学である。こうして転職D進に無事成功したこととなった。ただ、転職D進すれば人生薔薇色かというとそんなわけがないのである。

 

博士号は足の裏の米粒

NTT研の上司から言われていたが、博士号は足の裏の米粒であるという。取らないと気になるけど、とっても食えない。博士号ばかりに気を取られていては仕方がないのである。これから、たとえば大学教員を目指すにはジャーナルを死ぬほど量産する必要がある。また量産したとしても枠が開くタイミングもある。人脈も必要である。はっきり言って、この転職D進はリスクマネジメントしたところで、いきあたりばったりである。その後のことを考えていたとしても、うまくいくとは限らない、いやうまくいかない可能性の方が高いのである。そう思いながら、NTT研を辞めるとかなんてクレイジーなことをしたんだろうかと日々後悔するばかりである。これが若気の至りというやつなのだろうか。

 

まとめ

以上が、NTT研を辞めて転職D進した経緯である。今振り返ってもクレイジーなことをしていると思うし、理想を追いかけるクレイジーであると思う。往々にして学生までは理想通りに行っても社会に出ると思い通りには物事は進んでいかない。社会で行動するには何かしらの犠牲を伴わなければならないときもある。その中でどのように生きていきたいか、どのように死んでいくのかは個人の自由だ。エリートとして出世していくのか、自分のやりたいことを地味にやっていくのかどちらに価値があるのかは個人の価値観と言える。だから、どのように生きたいのかを考えて自分の心に従って生きていけば良いのではないだろうか。

 

キャリアパスについて読者の一助になれば幸いである。

 

追記(2021/07/10):

実は辞めた年の7月にも激しい自部署内の異動があったのだが、この激しい異動で自部署であるサービスエボリューション研究所そのものが解体される可能性があるという話を聞いていた。そのときは杞憂で終わったのだが、この2年後に研究所は解体され、現在はなくなってしまった。話を聞く限り、人員の再配置が起きただけで、事業部に飛ばされたという話は聞かない。(実は環境研がなくなるときは事業部に飛ばされてしまった人たちがいた。)

group.ntt

 

ただ、自分のやりたい研究をやり続けることはNTT研に残ったとしても無理だったんだろうなという気持ちは残る一件ではあった。自分のやりたいことと組織のやりたいことどうにかしてすり合わせていくしかないのだろうか。