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なにメモ(なにかしらのメモ帳)

コンピュータビジョンや機械学習関係の話題を書き綴ると思うブログです。

アニメ版lainについての現代における考察、高度情報化社会における私

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何故、人は、中学生くらいの美少女が出てきて哲学的な話をされると、意味不明な話でも「ふむふむ」とか言って判ったようなフリをしてしまうのか?
serial experiments lain(シリアルエクスペリメンツ・レイン)とは、アニメの姿を借りた、視聴者の知ったかぶりを賭けたバトルである。

Serial experiments lain - アンサイクロペディア

(絵: alfred++)

 

 この頃、アニメ版のlainを見ました。

 lain仮想世界と現実世界での人のつながりの中で自分が存在するとは何なのかを探すことをテーマにしていると個人的に思っているSFアニメです。ストーリーが断片的に提示されるので、全体的なストーリーは視聴者に考えてもらうスタイルが特徴的でした。

 自分とは何なのかという哲学的テーマをlainでは取り扱っているため、哲学好きな私はlainに興味がそそられました。いろいろな感想も湧いてくるもののまとめれなさそうな感じになったので、感想を書くのをやめようと思いました。しかし、

ということもあり、せっかくなので感想を書いてみることにしました。

 考察と感想は以下の項目にわかれました。

 

感想

  ・つながり

  ・自分の存在

  ・感想の結論

考察

  ・プロトコル

  ・高度情報化社会の行方

 別に各分野の専門家でもないので各考え方に誤りがあると思いますが、もしあればコメントで伝えていただければ幸いです。

 

つながり

 この作品では「つながり」がとても重要視されています。

 例えば、メール。例えば、ネットワーク。例えば、誰も居ない家。例えば、手を握ること。例えば、集合的無意識

 このように「自分とは何なのか」という個人内で完結しそうなことをテーマにしながらも、他人とのつながりを言葉だけでなく映像でも強調しています。それもそのはずで後述する通りに「自分の存在」と「つながり」に深い関係があるためです。ただ、作品内では映像としてさらっと流れていくことが多いので、あえてここで書きました。

 しかし、人と人とはどの程度つながっているのでしょう。現代ではネットワークであらゆる人と人がつながっているといえばつながっています。ユングは、人は無意識の中で共通する領域、すなわち集合的無意識があるといっています。ということで、ネットワークが構築される以前から、人はみな繋がれているといえるでしょう。会話などのミクロなつながりから集合的無意識のようなマクロのつながりまでを本作品では話題にしています。

 

自分の存在

 lainでは

『存在は認識=意識の接続によって定義され、人はみな繋がれている。記憶とはただの記録にすぎない。』という世界観

serial experiments lain - Wikipedia

をベースにストーリーが構築されています。

 lainでの存在の考え方はハイデガーの考え方にとても似ています。この考え方とは、存在とは他の存在と同時に共有するものであるという考え方(共同存在)です。自分が世界に何かを及ぼし、周りの人がそれを観測することで、自分と周りの人が同時に存在しているわけです。同じものを違うように見ていれば、たくさんの自分が発生します。なので、lainでは、主人公が、岩倉玲音、lain、レイン、れいんの4つぐらいに分かれています。お伽話や伝承によって生み出されたインターネット(Wired)での存在がlainlainに肉体を付与した新しい存在が岩倉玲音、周りの人の記憶を書き換えることで生まれた存在がレインなどとなっています。どれが本当の主人公なのかというとどれもそうでしょう。見ている人が異なるだけです。

 また、各キャラクターの行動がヤスパースの考え方にとても沿っています。自分の死によって限界を感じ、超越的なものに意識を向けることで不安を解消するという考え方です。本作品では自分の肉体に限界を感じ、ネットワーク上に存在する神に憧れ行動していくキャラもいます。自分自身が神になろうとするキャラもいます。

 なお、ハイデガーヤスパースは2人とも実存主義を代表する哲学者です。

感想の結論

 以上の内容をざっくりとまとめると、

「すごく深い話だったよ!これは実存主義の話なんだ」

 

先述の者より少し頭よさそうに見えて、実際は輪をかけてバカな人間の典型的な例である。人間知ったかぶりをすると、だいたいこういう喋り方になってしまう。「主義」とかつけてる時点で既にバカっぽいし、だいたい、アニメの劇中で「この作品のテーマは、実存主義です。」とセリフに出して語っているからである。

Serial experiments lain - アンサイクロペディア

という当たり前の感想になります。

ので、もうちょっと掘り下げていこうと思います。

 

プロトコル

 この作品ではプロトコルが話の中心として出てきます。

 通信においてプロトコルはユーザにとって通常意識されないものではありますが、プログラムにとってプロトコルは必要不可欠です。プロトコルがなければ、すべての信号はただのノイズです。実際インターネットのプロトコル、IPを知らない人が「01000101」という2進数を送られてもわけがわからないでしょう。ちなみにIPのバージョンが4でメタデータが5ワードであることを意味しています[1]。

 このモデルは人間のコミュニケーションの説明にも適用できると考えています。人間にとってプロトコルに相当するもの、それは同情を引き起こす記号すべてです。たとえば、言葉もありますし、表情といった非言語な記号も含まれます。しかし、記号だけでは情報を伝達しても他の個体にどう感じたらいいかがわからない恐れがあります。そこで記号に対する感じ方を個体同士で同じものにする必要があります。そう感じさせる機構が人間にはミラーニューロンシステムとして実現されているように思います。また、表情の意味に多くの文化で共通であるとエクマンの研究も感じ方を同じにする一つの証拠であると考えています。

 プロトコルは、機械と機械、人と人、人と機械のつながりを成り立たせるためには重要です。

 

高度情報化社会における私

 現代ではスマートフォンを始めとしたデバイスの発展により、常時、私たちは世界のあらゆる人々とつながっている状態になっています。互いを理解するためのプロトコル機械翻訳やマルチメディアの発展により、以前よりかはグローバルに共有しやすくなりました。これにより、あらゆる情報が伝わりやすくなっています。また、その情報も3Dプリンタなどを通じて現実世界に移すことができます。まるでlainの世界のような状態です。この状態はハイデガーは想定していなかったのでしょう。ネットワークを共有して互いを確かめ合うことで存在していることを確認しあう。現代におけるこの究極形態がfacebookやLINEを始めとしたSNSなのでしょう。

私の情報は、私や他人によって加工され、加工された情報を元に他人はその人の中で私という存在を作り上げます。さらに技術が発展すれば、その他人の中の私の存在も加工することができるようになります。

Twitterの私、facebookの私、リアルでの私、写真の中での私、悪口で生まれた私。

 

どれが本当の私なんでしょうか。

 

他人にとってはどれも本当の私なのかもしれません。

 

 

おまけ

 アイキャッチに用いている2つの表情。あれは左が岩倉玲音、右がレインを表しています。2つの顔を男性と女性でこのようにくっつけると左が優先されるというどうでもいい豆知識を思い出しました。

 あと、岩倉玲音を「岩崎」玲音と過去に書いていました。お詫びして訂正します。

 

[1] RFC 791 - Internet Protocol